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A'NGEL POVEDA キャンバス一杯に溢れる光の量、それに包まれた風景の奥に潜む、柔らかな湿度。その2つの微妙なコントラストが生み出す作品への印象は柔らかな懐かしさ、でもその底にある強さーそれは厳格なものではなく、むしろ自由な陽気さともいえるかもしれない。それをもって、作者のアンヘル・ポベダ氏がスペインのカスティーリャの野に育った人であることを改めて思い出す。 サラマンカ出身の画家、アンヘル・ポベダ氏は81年来日後、東京に住むこと16年。言葉のギャップを乗り越え、スペイン語教師として働く傍ら、数多くの人々の協力を得て続けてきた氏の個展は昨年秋、文芸春秋画廊で開催されたもので、すでに14回を数える。日本国内の数々の展覧会に出展、入選経験を持ち、「ながい歴史を背負って」というタイトルで描いた昭和天皇の肖像画は現在皇居内に飾られている。 まったく文化の違う東洋の1国で、画家として活動を続けること。長年にわたる日本での生活ー“ガイジン”として暮らしていくことー、また日本からみたスペインの印象など、聞きたいことはたくさんある。インタビューのために現われた氏の最初の印象は、その大きさとスペイン人らしい容貌にもかかわらず、まったくの日本人だった。その後電話で話した際、“あ、もしもし、アンヘルですけど…。”という彼の最初の言葉には、あまりのその日本語の流暢さにびっくりしたものだ。最近スペイン語も忘れがちになっている、と愛妻のけい子夫人がぼやく。氏のスペイン語復活(?)のためにも、インタビューはスペイン語で行うこととなった。 ー初めて訪日されたのが27才の時、それまでの27年間はここサラマンカで過ごされたのですね。この街に画家アンヘル・ポベダのルーツがあると。画家になろうというのには何か影響されるものがあったのですか?ご両親の影響とか…。 「そう、サラマンカ市内出身の生粋のサラマンカっ子“チャロ”なんです。絵描きになろうと思ったのは特に両親の影響という訳でもなく、とにかく小さい頃から絵を描くのが好きなおとなしい子で、紙と鉛筆を持たせておけば何時間でもじーっと絵を描いて遊んでるような子だったんですね。よく意味は分かりませんでしたがベラスケスの絵が大好きで。6、7才の頃でしょうか、大きくなったら何になりたい、と聞かれて絵描きになりたい、と答えたのを覚えています。その後国立サラマンカ美術学院で絵画を学ぶことになり、16才の頃には市役所主催の美術展に初めて出品しました。」 ー学生街で知られるこの街で学生時代を過ごされたわけですね。 「この時期、美術を学ぶ他に音楽を学ぶチャンスにも恵まれました。当時のスペインの公立校では日本の学校のように音楽の授業がなかったのですが、音楽の学校に通わせてもらい、そこで簡単なソルフェージュからアコーディオンの弾き方まで習いました。アコーディォンが弾けるということで、バルのフィエスタなどに呼ばれてよく弾かされたものです。もっともおごってやるといわれてもまだ子供なもんでコカコーラばっかりのむ羽目になりましたけど(笑)。美術を学び、絵を描き、音楽を楽しみー美術と音楽に囲まれて自由な雰囲気の中で学生時代を過ごしました。卒業後、セルバンテス書店に勤めていた頃に、留学生として来ていたけい子(現在のポベダ夫人)と知り合ったのが78年、その3年後の81年に日本へ向かいました。」 ー当時としては大きな決断だったと思うのですが…。 「昔から東洋の国々には興味がありましたし、彼女の生まれた国を1度知ってみたいということで思いきって決めてしまいました。当時は日本といってもフジヤマ、ゲイシャといった観光写真程度の知識しかありませんでしたし、ましてや日本語なんて遠い国の奇妙な言葉は一言も知らなかった。今なら日本語を教える語学学校などがスペインにもありますが。結局6ヵ月の学生ビザで渡航することになり、東京の語学学校でまずは日本語を習いはじめました。でも最初から永住するつもりではなかったんです。」 ー81年の来日から88年第一回目の個展の開催でプロの画家として活動されるまで、7年の年月が流れていますが。 「2年間拓殖大学で日本語を集中的に勉強しながら、スペイン語教師としても働き始めました。この時期結婚をし、日本での新生活がやっと始めたところに、住んでいた練馬のアパートが隣人の不注意で火事に遭い、全焼してしまったのです。めったにない不運に見舞われてしまったわけですが…何もかも焼けてしまい、1から再出発しなければならなかったのです。後に西早稲田に現在の新居を持つことができましたが、画家として新しく仕事を始めるのには最初骨が折れました。画家としての数年のブランクがありましたし、画材なども買い揃えなければならなかったものですから。その後86年に足利市の美術展に出品、その展覧会のメンバーがSalon de Tokioの人々だったことがあり、翌87年よりサロンの展覧会に出品するようになりました。第1回目の個展は88年11月、これはその後1、2年の割合で個展を開いています。」
画家として日本で生きていくこと
ー氏の作品の中で特に特徴的なのはその第一印象の優しさ、光の柔らかさだと思うのですが、影響を受けた作家は? 「絵を描くものにとってのマエストロとして、クラッシックですが、まずベラスケスが挙がります。その一方でいつも好きだったのはフランスの印象派の作家達、特にモネなど。スペインの印象派では、海外では残念なことにあまり知られていませんが、ソローリャ(ホアキン・ソローリャ/1863-1923)が挙がります。これらの印象派をはじめとして、また写実派の作品、具象芸術など、数多くの作品が自分の作風に影響していると思います。」 ー自分の中のスペインが作品に影響していると感じることはありますか? 「作品に取り組むときは、自然体で描いていますので、自分の中のスペインを意識することはありません。ただ自分を取り巻く日本の環境が自然と作品のテーマ、色使いに影響していることでしょうし、一方で私の日本の風景をテーマにした作品は、他の人には外国人の描いたものだの分かるようです。2つの国の文化の影響を自然と受けているようですね。私自身はテーマとなるものが日本のものであろうが、スペインだろうがかまいません。ただ光量の多い風景、光と影のコントラストを好んでテーマとなるものに求める傾向があるようです。」 ー日本で画家として生きていくことはどうなんでしょう?日本の画壇への印象も含めて? 「大変難しいですー特に私のようにゼロから始めた者にとっては。どこの世界でもいえることですが名声を勝ち取ったものには素晴しい世界。日本の画壇は競争が激しく、またプロの他にもアマチュア画家の人口の多い世界。スペインではあまりありませんが、日本では退職後に趣味として絵を描く方が多く、その人達のグループなどもたくさんあります。画壇の規模も大きいし、展覧会の数もスペインに比べて非常に多いーそれだけ多くの可能性があるということですが。しかし画家にとって嬉しいのは豊富な画材が簡単に手に入ること。伊東屋、世界堂などの大型店も充実していて、スペインの小さな商店の品揃えとは比べ物にならない。」 ー閉鎖的な世界と感じることは? 「確かにあります。“センセイ”を取り巻く世界がありますし、外国人作家についていえば、例えば日本で良く売れるのはスペインでも著名な作家の作品。大きなギャラリーが大々的なプロモーションをして高価な値段で売り出すものだからです。作家本人が日本にわざわざ来ることはめったにない(笑)。日本のギャラリーはスペイン現地で無名の作家を見い出して来て、大きなプロモーションで売り出すこともします。例えばバレンシア出身のトレント・リャドという作家ー私も彼の作品は好きですがーは日本でもスペインでも無名だったのですが、ある青山のギャラリーが見い出し、日本で有名になった作家です。現在彼の死後も彼の妻がサインした作品の複製は売れ続けています。これは日本の美術の世界の商売面の話なのですが、結局外国人作家が日本で成功するためには、日本の外から大きなプロモーションで市場に入らなければいけないという不問律があるようです。」 ーテーマを変えて、日本に住まわれてすでに16年。今の感想は? 「いろいろなことがありましたが、16年は早かった(笑)!行く前はほとんど日本に対する知識がなかったから、着いてみてからスペインとの相違点を発見する日々でした。」 ー日本の好きな所、嫌いな所を挙げるとすれば? 「食べ物に関してはみんな大好き。納豆もね。日本の社会に関していえばその治安、社会秩序の良さ、そして時間の正確さ。人は穏やかで我慢強い。街は清潔で、電車やバスは時間に正確、銀行や市役所などは丁寧な応対で迅速に事務処理をしてくれる。スペインみたいに“じゃ、8日後にいらして下さい。”なんてことはない(笑)。それに治安が良く、銀行のガラスに覆われた受け付けで、小さい窓口に向かって怒鳴らなきゃいけない、なんてこともない。一方であの有名なラッシュアワーの光景に代表されるように、ストレスの多い社会であるという一面もありますが。嫌いな所は、うーん難しいですが…個人主義になれたスペイン人として、また日本に住む1外国人としてみれば、日本独自の集団主義ですかね。」 ー東京で“ガイジン”として生きることは? 「最初は日本の社会になるべく溶け込もうと努力したものですが、結局は自分は外国人であるといつも感じるし、回りからもそう見られる。それが苦痛とは思わないし、今は自然な形で受け止めています。日本で暮らし、日本語を話して仕事をしますが、だからといって自分が日本人でありたいとも思わないし、また自分がギターを持ってフラメンコを歌いだすような生粋のスペイン人であると感じることもない(笑)。外国人であるということが自分のアイデンティティの一部をなしているのですから、それなりの役を演じるところもあるでしょう。」 ー遠い国日本からみたスペインの印象は? 「Muy mal!政治や経済に関して特別興味を持っているわけではありませんが…確かにお金があって旅行気分で行くのなら良いかもしれませんが、仕事を持って生活しようとするのには難しい国でしょうね。」 ースペインが恋しいと思うことは?例えばハモン、チョリソ…。 「そりゃもちろん!でもスペインでお鮨を食べてもおいしいと感じないように、日本でハモンを食べてもおいしいもんじゃないですよ。確かにスペインの友人とか、家族とかを懐かしむことはありますが、普通は特にないですね。強いてあげればバル巡りをしながら友人とゆっくり語らう時間とかね。日本では友人と待ち合わせて飲みにいくにも一苦労しますから。」 ー昨今日本語や日本文化に興味を持ち、日本を訪れたいと思うスペイン人も増えているようですが、彼等に何かアドバイスがあれば。 「ぜひ思いきって旅立って下さい。言葉も違う、知り合いさえもいない外国に行くことは大きな冒険かもしれませんが、行きたいという強い意思、はっきりした目的があれば、その醍醐味がきっと味わえるはず。向こうに行っても孤独になることはありません、必ず助けてくれる人がいますから。」 ー最後に日本からスペインくる留学生に一言。 「しっかり勉強しましょう!ディスコになんかばっかり行ってちゃだめですよ!それに言葉だけでなく、その国の文化をしることも大事。それには日本人同士で固まっておせんべいやラーメンを食べ、日本語で話してるばっかりじゃだめですよ!」
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