アルゴット教室
    ES COJONUDO


 これはすばらしい!といった賞賛の言葉のいろいろなバリエーションってありますか?」とよく日本人留学生の方に聞かれます。何故かと聞くと、「ホームステイ先でもよく料理がおいしかった、とか昨晩はすごく楽しかった、と言いたい機会があるんですがいっつも Que bien! 位しか言えなくて自分がバカみたいに思っちゃうんです…。」とのこと。確かにこういう時に日本語ではすらすらと出てくるはずの言葉がなかなか思い当たらない、というのは悔しい思いがします。

 でもちょっと考えてみてください。日本語でも“この一言で一発!”という言葉はなかなかないものです。例えば“楽しい”“おいしい”の前に“すごく、すっごく、ものすごく”をつけることが日常会話でよくされますが、これも連発していると頭が悪そうに思われがちです。スペイン語でも形容詞の前に super, hiper, などをつけて意味を強調したり、-simo といった比較最大級に変化させるのが日本語でいう“すっごい”に当たると思うのですが、これもこの言葉だけ連発していると、単なる大げさな人になってしまいます。結局はその後にくる“なぜなら…”の自分なりの解釈、解説部分に国語力、言語力の実力が出るというものでしょう。

 スペイン俗語辞典によるとこの bueno, muy bueno を意味する形容詞は de puta madre など代表的(?)なものを含めて60近くあります。この膨大な数の形容詞のパノラマを見ていると2、3のおもしろいことに気付きます。以下にその分類を少し上げてみると、

1-性器、セックスを表わす語が多いこと
 アルゴットの中でもタブー語に近いものに多いのがセックス、排泄物に関する言葉が多いのですが、面白いのはこの中でも性器、セックスに関する言葉はネガティブな意味で使われるだけでなく、特に男性器に関しては賞賛の意味を持つものが多いということです。cojonudo, de cojones, de tres pares de cojones, de pelotas, de huevos, de con~os などはその類のものですが、特に男性器に関しては、対象の量の多さ、大きさなどを賞賛するものとしてその傾向が多いようです。

2-ジプシー社会で使われた言葉を起源とするものが多いこと。
 16〜17世紀に当時の泥棒、悪党Picaro 、売春婦などの仲間内で使われた隠語 German誕 に起源を持つアルゴットに18世紀後半Caloとと呼ばれるジプシー社会の言葉が流れ込み、この語彙体系に大きな影響を与えたことは知られていますが、この Bueno を意味するアルゴットの中にもchachi, dabute, dabuti, chipen, など ジプシーの言葉に起源を見ると思われる言葉がたくさんあります。 この2つのことはアルゴット(俗語)の全体構造の傾向を表わすこととして、あるば創刊号にも詳しく書きましたが、他にも面白い傾向として de miedo, de muerte, de panico などネガティブな意味を持つ言葉が反対に賞賛の意味として使われているということや、文語の言葉としては悲嘆を表わす感嘆詞として使われていた Guay! がアルゴットでは賞賛の言葉として使われることなど、1つの言葉を調べるだけでもいろんなことがわかって興味深いものです。

 ついでといってはなんですが、反対に malo, mala の俗語表現にはどんなものがあるのでしょうか? 英語でいう shit はスペイン語で mierda ですが、caca, carajo もこの類。Es una ( puta) mierda. という風に使ったり、Estar hecho una mierda. と状態を表わしたり、“何の価値もない”という意味で No vale una (puta) mierda. とも使います。この No vale 〜のあとには un pimiento, un rabano なども入れることができるのは、以前本誌で紹介した No me importa〜シリーズと同様です。また下層階級の人達が使う言葉には chungo, chungali, ful, ful de Estambul, fulastre, fulan~i, mangui といった言葉もあります。これらすべての言葉は単にものの表現だけでなく、状態(例えば体調なども含め)なども表わすことができます。

 日本語で“俗語、隠語”というと、どこか暗いイメージのみがありますが、日常会話に出てくる様々な表現、言葉がアルゴットの領域に含まれるもので、アルゴットイコール汚い言葉と考えるのは間違いです。洋服によそ行きと普段着があり、時代によって流行があるのと同じように、言葉もまた生き物です。特に宗教、性、政治党に関するタブー語が多いスペイン語では、それらを探っていくことが、その裏にある社会の状勢をかいま見ることになるでしょうし、日常会話の微妙なニュアンスを知ることは、言葉を学ぶ上では不可欠なことといえるでしょう。