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それは1筋のアスパラから始まった。 初夏、といってもなんだかむわりと蒸し暑い夕方。とりあえず、という感じで入ったスペインのとあるレストランでメニューを眺めている時に、Esparragos (アスパラガス)と書かれた1行になぜか目を引かれた。アスパラガスといえば、日本ではけっこうポピュラーながらも邪険にされがちな野菜の1つだ。思い出すのはオフィス街の喫茶店でランチタイムセットを頼むと出てくる、添え物のようなミニサラダに入っているあれ。(日本では未だサラダというものは1つのメニューとしての位置を確立していないとみえる。あの手のあってもなくてもいいようなサラダを出すのは、いわゆる漬物を添える感覚なのだろうか。)ひょろひょろで生白く、飲み込むと筋が口の中に残るようなしろもので、ご飯のおかずにもならないし、この白アスパラが大好きという人はあまりいない。その偏見からか、ここスペインでも“なんでこんなものをわざわざ食べる人がいるの”と気にもとめなかったのだが、その日はなぜかさっぱりしたものが食べたくて頼んでしまったのだ。運ばれてきたお皿には白アスパラが5筋とマヨネーズだけ。やたら太くて長い。切って口に運ぶと汁気をたっぷり含んだそれは、ほろりと崩れてクリームのように溶けてなくなってしまった。「こりゃうまいよ!」と思わずウェイターのおっさんにいうと、「うちはナバーラのアスパラしか出さんもんね。」と自慢。彼がナバーラの村出身だったので、そこからお馴染み長い村自慢が始まってしまったのだが、結局その話がかの地へと食の旅をするきっかけをつくることとなったのだ。 ナバーラがおいしいわけ スペインの北部、フランスとの国境をつくるピレネー山脈南西に広がり、ちょうど菱形を描く土地がナバーラだ。上隣にバスク地方、下をアラゴン、下左にラ・リオハと他3県に囲まれている。海はないが、山脈から流れ落ちた清水を集めて地中海に押し出すエブロ川の中心に、スペイン国内でも肥沃な大地を持った場所である。川に沿ってできた国の常で、同じナバーラでも地方によってずいぶんと景色も、気候も違ってくる。北部は山岳地帯だ。緑のカーペットを敷き詰めた山々が広々と見渡され、その所々にぽっかりと岩肌が現われる風景が広がる。そして首都のパンプローナを過ぎ、南端の街トゥデラまで下がるに連れて川幅は広がり、これにそって大胆な平地が広がる。50年代から始まった工業化の波に押され続けているものの、この豊かな土地を利用して、ナバーラはスペイン全国にその名を誇る農園地帯となっている。前述のレストランのウェイターが言ったことは本当で、この地方で採れる野菜は種類が豊富でおいしいことで有名だ。また農作物だけでなく、過去フランスとの国境を超えて位置していた“ナバーラ王国”は昔からヨーロッパの他国の文化をイベリア半島の国々伝える中継地点であった歴史がある。多彩な風土、豊富な農作物、それに文化の融合となればこの土地の美味しいものがないはずがない。ナバーラといえばパンプローナ、牛追い祭、ヘミングェイとなるのだが、ここではひたすらこの土地のおいしいものの紹介でページを埋めてみたい。その価値があるのがこの“国”なのだ。 冷えたロゼワインでチキテオ 食事前にバルでおつまみをつまみながら軽くワインを飲み、おしゃべりを楽しむスペイン独自の習慣だが、バスク、ナバーラ地方ではこれを Ir, Hacer chiqueteo という。他の地方と少し違い、ワインは背の低いコップにほんの一口分だけ注がれるので、酔っ払わずにはしごが何軒でもきくところが良い。ナバーラに旅行に行くとわかるが、ここらへんのワインの主流はロゼ。ロゼというと日本では3種のワインの中でもちょっと情けない立場にあるものだが、喉触りがよく、舌先にもったりと来ない軽やかなこの地方のロゼをぜひ試して欲しい。軽くつまみたいのなら焼立てのチストラ。小指程度の細長いチョリソで、スペイン特有の太くて味の濃いものとは違い、あっさり風味でいくらでも食べられる味だ。よく村祭などになると市役所主催で長いチストラを一斉に広場で焼いて市民にふるまうことをしたりするが、あつあつのをパンに挟んだり、薄焼き卵や目玉焼きに添えて食べるとうまい。他にもラバスというイカ揚げ、たらのにんにくトマトソース煮など各種あるが、カナッペ系の多いバスクのバルに比べて田舎っぽいというか、おしゃれ度は少々落ちる代わりに量は多い。ここでうっかりお腹一杯にならないように気をつけて、奥の食堂の方へ進んで行こう。 野菜の味がする野菜 昔日本の東北地方を旅行した時、車窓に拡がる真っ青な水田風景を目の当たりにして奇妙な興奮を覚えたことがあるが、それと同じ感覚をナバーラへの旅の途中に感じることができる。したたるような水気をたたえた緑のじゅうたんを敷き詰めたような丘陵が、どこまでも遠くに続くのを見ているうちに、この国の食の源がここにあるということを否応無く痛感させられる。こういうことはたとえば牛の群れを見ても感じることではない。やはり緑という色への日本人の絶対的な信頼感なのだろうか。 パンプローナの郊外、友人に紹介されたとある田舎の鄙びたレストランで、最初に黙っても出てきたのはフレッシュなエンダイブとラディッシュを皿に山盛りにしたもの、そしてドレッシングと塩だけだった。これには普段カスティージャのレストランで、アペリティフとして出てくるハムやチョリソ、チーズのてんこ盛りに慣れている人は驚くだろう。エンダイブはあまり日本ではあまり馴染みがないが、白菜の芯状の頼りない感じの野菜。葉っぱを1枚ずつちぎってはソースをつけて食べるのだが、ほんのり苦みばしった軽やかな味は新鮮だ。他に頼んだサラダも、スペインにありがちなレタスとトマトだけであとは勝手に酢と油をかけろ、といったような代物ではなかった。人参の千切り、ビーツ、きゅうり、トマト、全部で6種程の野菜の盛り合わせで、それぞれがはっきりと個性のある味を持ち、充分食べ応えがある。いったいスペインでは、野菜料理となるとやたらぐたぐたに煮込んだものを出されるのが常なのだが、普通のレストランで野菜の味にこれだけインパクトを感じることは今まであっただろうか。野菜の味がする野菜ーナバーラ名産のアスパラガスがDenominacion de Origen によってワイン並みの厳しい品質管理を行っていることを考えても、その自信の程が知れよう。他の機会に頼んだ野菜ものの品々ーアーティチョークをハムとお米でさっと炊き合わせたもの、空豆をはじめたっぷりと野菜が入った緑色のミネストローネ、Pimiento del Piquillo (これも名物。先の尖った小ぶりの赤ピーマン)に鱈で作ったソースを詰め物をしたものなど、どれも素朴だが、素材の味を生かした調理法で仕上げたものばかり。“スペイン料理はやたらこってりしてて肉ばっかり”と考えている人にはぜひお勧めをしたい。 そしてやっぱり虹鱒なのだ 虹鱒(トゥルーチャ)は近年スペインではその養殖が盛んとなり、どんなスーパーでも手軽に手にはいる魚となってしまったが、“ナバーラ風”と名の付いたこの魚の調理法は、スペインの代表的な名物料理の1つである。7月の旬の時期にとれる虹鱒はうっすらと緑を帯び、銀色にぬめる肌がいかにも新鮮そうで食欲をそそる。これに薄く削いだスペイン産の生ハムをたっぷりと腹に詰め込んで、じっくりと油で揚げたものが“虹鱒のナバーラ風”。一見簡単そうなだけに、本当においしいものになかなか出会わないのがこのメニューの特徴だ。皮の部分が黄金色にこんがりと色づいてしゃくしゃくと香ばしく、ピンク色にほっこりと仕上がった身にハムの脂身がとろりとからんだものを食べてみよう。川魚の臭みとハムの臭みがちょうどよく相殺され、軽やかな感触の舌触りがなんとも繊細だ。この料理をほとんど感動しながら食べたのはナバーラの東北、その名前さえも忘れてしまった、とある村のこと。中心を流れる川筋、その川べりにへばりつくように農家の建つこの村ただ1軒の食堂は一風変わっていた。川を見下ろす窓辺から何本もの釣竿が突きだし、釣糸が川の流れに揺らいでいる。注文のたびにそこにかかった魚を引き上げ、厨房で料理してしまうのだ。川をつたって降りてくる涼やかな風に吹かれながら食べる、あつあつの虹鱒の味は忘れ難い味だった。まさに“獲ってきて食べる”原始的な食堂ー今でも残っているのならばぜひ再び訪れて見たい場所だ。 (次号に続く) |