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学 生であることが満喫できる街 スペイン・サラマンカ市 スペインの首都マドリッドから北西に210 km、 直通バスで 2 時間半、 なだらかな川の流れの向こうに大聖堂のくっきりとしたシルエットが 見えてきます。 スペインでも最も美しいと言われるプラザマジョ−ルをはじめ、 数多くの歴史ある建物に富んだこの街の中心地は、 ユネスコにより人類無形文化財の指定を受けています。 13 世紀に建てられたサラマンカ大学を中心に、 数々の著名人を生み出してきた歴史ある学問のある街には、 各教育機関、図書館、美術館が完備されており、 また「本当に美しいスペイン語を学ぶのに最良の場所」との昔からの言葉に、 世界各国からやって来る外国人留学生の数も多く、 それを受け入れる語学学校も豊富です。 人口17万人のこの市に、国内各地から来る学生は約3万5千人、 それに加えて外国人留学生年間4千人−学生の街独特の自由な雰囲気に加えて、 不思議な文化のコンビネ−ションが生まれつつあります。 市内の2大学が日本の大学と姉妹校提携を結んでいることもあり、 日本から訪れる学生の数も毎年増え続けています。 特に94 年の天皇御夫妻の御訪問以来、 現地での日本への関心も高まりつつあり、 近年中に、両国の協力によって日本文化を広めるためのセンタ−の設立が 予定されています。 乾いた大草原の一都市でありながら、 週末には多くのバルが学生たちで溢れ返り、 その雰囲気の中には、新旧を問わず何でも吸収してやろう −そんな若い熱気が感じられます。展覧会、討論会、演劇、 コンサ−トなどの文化イベントが多く、 文化都市としてもその名を国内で誇っています。 観光するだけでは物足りない、ゆっくりと腰を据えて住んでみたい、 そんな気持ちにさせる街であるとともに、 正に“学生であることを満喫できる街” −というのがここ、サラマンカを描写するのにぴったりの言葉かもしれません。 |
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ス ペインのニュース La familia, en peligro de muerte それはヨ−ロッパ大陸を占め、世界の中でも 生活環境の条件から最も水準高き国々の間で起こっている。 各々の国がその繁栄を維持する能力を失いつつある−というのも、 単純に子供を持たないヨーロッパ人が年々増え続けている事に理由があるのだ。 EU連合国内では、家族というのはもう以前の様な形をとどめていない。 ECのEUROSTAT による調査によると、 現代の平均的ヨ−ロッパ人家族というのは主に2人組、 その上結婚を望まないカップルによって構成されているという。 全体の 10% が一人暮しをし、6%の家族が片親、 30才以下の若者の28%が同棲− そして560万の子供が父親または母親無しに育っているという。 まさに“家族”というコンセプトは消滅の一途を辿っているといえよう。 スペインは子供を持つ夫婦の数は全体の平均を上回っているというものの、 一方で不安な数字も出している。 現在スペイン女性一人当りその子供の数平均1,2人 −出生児率が世界で一番低い国であるという結果が出たのだ。 次代を継ぐもの無く、年を重ねていくヨ−ロッパ人 …その原因究明は、生物学的にも、経済学的にも興味の対象となるだろう。 しかしわれわれにとってみれば、 混乱の現代と不確かな未来の狭間で立ち止まるざおえない というのが本当のところであるといえよう。 子供のいないスペイン、そして夫婦のいないイギリス …伝統的ないわゆる家族というのはもう珍しい物となってしまった。 これは確かに統計学の示すパノラマでしかないが、 問題は、このわれわれの文明の未来を問うことにあるだろう。 Festival de cine en San Sebastian サンセバスチャン映画祭において、 審査員のミス発表が、このコンク−ルでの大きな議論を呼んでしまった。 大勢の報道陣を前に始まった受賞者発表式の最中、 前半の“小さい”賞発表の時の発表ミスに対する抗議が発端となり、 アメリカ人の実行委員Mike Figgie, ポルトガル人の女優Maria de Medeirosが審査員代表として “金の貝賞”者を発表した際、いらだった聴衆の憤りに火が付いて、 会場は騒然とした雰囲気につつまれた。 結果として Capitan Conan のフランスの Bertrand Travernier 監督でもなく、 El 徑timo viaje de Robert Rylands のスペインの Gracia Querejeta 監督でもない、大衆向け、批評家受けの良かったものが、 審査員の目にかなった受賞となった。 “無責任野郎らめが!”と飛び交う野次が、 最主演女優賞のアルゼンチンの Norma Aleandro、 最主演男優賞の Michael Caine への花むけの言葉となった。 映画祭の伝統ともなっているハプニングに、 この第44回も例外ではなかった。 最優秀作品には、Imanol Uribe の Bwana と、 G. Mackinnon の Trojan Eddie 両2作品に送られることとなった。 全体をまとめると2つの事が言えよう。 まず海外からの参加者にしてみれば、 いつもスペイン人が重要な賞を持っていってしまうこと − Imanol Uribe は確かにその作品Bwana は賞に値するものだが、 3年間で金の貝賞2度もというのはちょっと過ぎるのでは…。 そして喝采を浴びながらも受賞のなかった El Ultimo viaje de Robert Rylands のプロテュ−ザ−、 Elias Querejeta の憤りであろう。 |
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イ ンタビュー No tengas miedo a hablar サラマンカ市の文化の中核、 そしてスペイン語教育機関の中心的存在として長い歴史を誇る サラマンカ大学−そのインタ−ナショナルコ−スのディレクタ−、 ホアン・フェリペ・ガルシア・サントス氏へのインタビュ−。 氏は多忙な中にもかかわらず、笑顔でインタビュ−に応じて頂きました。 −サラマンカという街を一言で表現すると? 「人口約 17 万人の小さな街ということもあり、 そのせいか住みやすく、また言うなればまだ人情のある街ともいえるでしょう。 一言で言えば住むのに最適な街。 しかしまたユネスコより重要指定文化財に指定されている モニュメントの街でもあること、 そして住人 3 人につき 1 人が学生であることからわかるように、 スペイン国内きっての学生の街、勉学に最適な街とも言えます。」 −そしてサラマンカ大学についていうと? 「まず最初に、すでに一般に言われることですが、 スペインで一番古く、またパリ、オックスフォ−ド、 ボロ−ニャ各大学と並んでヨ−ロッパで 最も歴史ある大学の一つにあげられることでしょう。 これに加え、現在では国内の大学の中でもスペイン語教育に関し、 たぶんもっとも名の知れた大学であるとも言えます。」 −スペインという国の文化の歴史の中で、 サラマンカ大学が重要な役割位置を占めてきたということは 周知のとおりですが、今日においては、どういう位置にあると お考えでしょうか? 「おっしゃる通り、私共の大学の過去における役割は、 その存在無しにはスペインの歴史を理解し難くする程重要なものです。 現在はこの国を含む世界情勢も変わり、そのような優勢な位置に立つことなく、 他の多くの大学と共に役割を分担する様になりました。 しかしその多くの学部、学科が国内でもの重要な位置を占め、 特に先程述べたようにスペイン語教育においてはナンバ− 1 であることは確かです。」 −もしも氏が外国人学生であったとしたら、 なぜサラマンカをスペイン語習得の為に選ばれるとお考えでしょうか? 「たくさんの理由からです。 地元で正確なスペイン語が話されているということ、 スペイン人はもとより、他の国の人達と文化交流する機会があること。 そして何より教育の質、専門課程を修了した授業熱心な教師陣、 学生の街独特の雰囲気など…。」 −サラマンカ大学のスペイン語コ−スについては? 「2つの言葉で表現しましょう。 バリエ−ション;多様なタイプの生徒を対象にしていること、 質;私共の生徒さん達が習得し、 満足されることに常に重点を置いているということ−となります。」 −どういった国からの生徒でコ−スは成り立っているのでしょう、 パ−センテ−ジでいうと? 「パ−センテ−ジは今ちょっと出ませんが、 まず大多数を占めるのがアメリカ人で、 次にヨ−ロッパ各国−ドイツ、フランス、イタリア、スエ−デンなどからの生徒、 そして次に年々占める位置を広げているのが日本人です。 アフリカ、また日本以外のアジア諸国からなど世界各国から生徒を迎えています。」 −他の国の生徒と同様に、日本人生徒もそのキャラクタ−、 他と比べての違いがあると思いますが、どのようなものでしょう? いいかえれば日本人生徒の典型というと? 「私はなによりもその礼儀というものを上げます。 日本人生徒は教師にたいして、 また普段でもすべての人にたいして実に礼儀正しく、行儀がよい。 その行儀の良さから、 しばしばスペイン人にとってはおとなしすぎるように 見受けられることがありますが。」 −もう一つの日本人の特色として、 私達にとってスペイン語会話を習得するのに かなり時間がかかるということがあると思うのです。 文化の大きな違いというのがその理由であると思われますが、 それについてどう思われますか? この障害を乗り越えるためのアドバイスをお願いします。 「確かに日本とスペインとの文化的相違は、 スペイン語を学ぶ日本人学生にとって障害をもたらすでしょう。 しかし考えて見るとこの 2 つの言語は文法、語彙に大きな差があるものの、 音声体系、発音は非常に似ているのです。ご存じのように2言語とも同じ 5つの母音を持っています。ですから例えば、話せるようになったとなると、 イギリス人でもフランス人でもなく、日本人が一番発音が上手である、 ということが起こるのです。 アドバイス? 最初は間違ってもいいのです、 どんどん話すこと、自分の意見を述べるのを恐れないことですね。」 −最近サラマンカでは各方面で日本に対する関心が高まっていますが、 これについてのコメントを。Casa de Japon(日本文化センタ−)の設立案は どう展開しているのでしょうか? 「サラマンカ、日本両者相互への関心が高まっていることは確かですね。 Casa de Japon の創立はとても近い将来実現されることも確かです。 大学側はそのために中心地にある建物を確保していますし、日本側も アソシエ−ションの設立に向けての活動、出資準備を行っています。」 −最後に、これからサラマンカにスペイン語留学しようとしている 日本人学生へのアドバイスをお願いします。 「短期間でスペイン語というものを理解し 、またスペイン語で理解できるようになるまでの上達− それが問題なく得ることができ、また親しみやすく、 溶け込みやすい街… それがあなたがたを両手を広げて迎え入れるであろう事を 信じてどうぞいらっしゃって下さい。」 ホアン・フェリペ氏略歴 1950 年 2 月 5 日、父 Manuel, 母 Obdulia のもとにエクスマドゥ−ラの村、 La Pesga に生まれる。神学校に通うころからおとなしい、勉強好きの子供で、 奨学金を獲得してカセレスにある寄宿制私立男子校 San Antonio(あのアルモドバルの出身校)に入学、青年時代を過ごす。 相変わらず勉強家だったが、夏はフランスでボ−イの下働きなども経験。 この頃他の女子校との共催で行った演劇活動で知り合った女性 Elvira(当時 15 才、氏は 16 才)とは卒業前に結婚する。 68 年、当時国内 1000 席のみに限られた奨学金の難関試験に合格、 サラマンカ大学スペイン言語学学科に入学。 74 年学士課程修了後、給費研究生として学科に残り、 78 年論文 "Vocabulario Lexico de la politica de la Segunda Republica Espanola” にて博士号取得、 82 年教授として教壇に立つ。 当時は働きながら勉強する生徒が多く、 学科を規定通りに修了し、 目的の仕事に早く就こうとする学生が多かったという。 外国人学生対象の授業は 74 年からで、 22 年の長いキャリアを持つ。 Cursos Internacionales では 84-85 年サマ−コ−スのコ−ディネ−タ−として活躍。 96 年にディレクタ−に就任、忙しい毎日を送っている。 娘1人息子 3 人の父親。 著書にEspanol Curso de perfeccionamientoモ (1988), Sintaxis del espanol (1990), "The Splendor of Spainモ"(1993, Mac Craw Hill) などがある。 |
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あ るばマニアックツアー しんみり、じっくりの小古都−ZAMORA 地図どおり、まっすぐの国道を田舎くさい景色を横目に見ながら進んでいくと、 やがてどってりと横たわる川を境にして、城壁に囲まれ、 茶色く固まった街が近づいてくる。左手に見える大聖堂を中心に、 赤茶けた屋根の数多くの修道院やら教会パラド−ルらが ひとまとめに盛り立てたように見える様子は、 いかにも“こじんまり”という印象が強い。 12 世紀にはポルトガルとの紛争で武勲を立てた豪族らが競って豪奢な邸宅や 教会を造り(ここにサモ−ラがロマネスクの街と言われる由縁がある)、 増え続ける人口で、街の繁栄は古い城壁から溢れかえった− と言われる昔の面影はない。その後古くからの交易活動を中心に栄え、 他のヨ−ロッパ中世社会に組み込まれていった半島東とはうらはらに、 農牧業経済に頼り、次第に衰退していったカスティ−リャ地方の、 ぽつんと取り残された“宴のあと”の舞台−といった印象を受ける。 サモ−ラは“石を投げればあたるほど”教会や修道院の多い街だ。 “聖なんとか教会”が観光ガイドの目次にずらりと並んで ちょっとうんざりさせられるが、特にマヨ−ル広場からビリアト広場を通り、 大聖堂へと続く道沿いが、もっとも“らしい”ゾ−ンと言えるかもしれない。 まずマヨ−ル広場を占める San Juan 教会の南正面にある、 中央が2つに割れたちょっと変わった形に修飾された扉の上にある飾り窓を 探してみよう。ゴシック様式のバラ窓だが、 よく見ると馬車の車輪の形をした美しいもので、 これがこの街のシンボルである。 ここを過ぎて市役所を正面に右に折れて進むと、 右手にビリアト広場を越して議事堂、 左手にアルバ・アリステ伯爵邸であったところのパラド−ルがある。 ともに正面の装飾も美しいが、中央のエレガントな装飾のパティオも必見。 もう少し進むと、今度は右にマグダレナ聖堂、左にトランシト修道院があり、 少し奥の突き当たりに大聖堂が見えてくる。 1155〜1174 の間に造られたというから、 日本でいうと保元・平治の乱の頃だと思えば、 所々の外壁の痛みにも納得する。 鱗模様の帽子をぽってりとかぶったような聖堂上部はちょっとオリエンタルで ユニ−クだ。内部は外から見た感じより狭い。 興味のある人は、タペストリ−の貴重なコレクションがあるので覗いてみよう。 大聖堂のとなりは砦跡を囲む公園になっており、 一休みするのにちょうどいい。 サモ−ラを散歩するのならば、ちょっと肌寒くなった頃の夕方が良い。 長い年月を経て、どことなく輪郭がぼんやりした数々の古い教会や、 崩れかけた城壁が夕日に照らされているのを見ながらとぼとぼ歩いていると、 なんとなくひとり取り残されてしまったような、 しみじみした気分になるからだ。 "No se gano Zamora en una hora" (サモ−ラは1時間で陥落したのではない −急いては事を仕損じる) という学校で習った諺をふっと思い出す。 ここはカスティ−リャ・レオン王国の時代に、 こじれた領土継承問題の主役となった土地でもある。 フェルナンド1世の死後、 その遺言に基づいた封地継承の割り当てに不服だった長男サンチョ 2 世が 弟妹に戦争をしかけ、次々とその領土を奪い取り、 最後に残った所が長女ウラカが支配するところのここ、 サモ−ラだったのだ。結局戦いは7カ月にも及び、 サンチョは殺害され、ここから次男アルフォンソ6世の治世の、 そしてあのエル・シッドの武勇伝の時代へとつながっていく訳だが、 当時のロマンセに語り継がれたこのエピソ−ドが、 諺となって今にも伝わったと言う訳だろう。 “エル・シッドがサンチョを殺害した騎士を追って通った門” なんてのも残ってい る。 "La ciudad, no obstante, perdio progresiva-mente su importancia, hasta llegar a la Zamora actual, una pequena ciudad, tranquila y sosegada..." とガイドブックも言ってしまっているように、その後この街は時代の脚光を浴びることもなく、静かで平穏な一都市と変わってしまったのである。 しかし年に1回、国内中の脚光を浴びる時期がある。 Semana Santa の時期だ。 この時期というとセビ−リャしか思い出さない人もいるが、 この宗教色が強い土地では−特に近郊の村々では− もっと土着的で荘厳な儀式の数々が見られる。というのも土地の人をして "La Semana Santa de Zamora es otra cosa" と言わせ、 1年をこの時期のために費やすなどと言われるほど、 土地に根付いた祭事なのだ。機会があったら徹夜で行くことをお薦めする。 翌日、名物の壷入りのにんにくのス−プを食べる頃には、この土地、 この国の根底に深く根付いたキリスト教思想に少しでも触れる事ができたと 実感するだろう。市内にはセマナ・サンタの博物館があり、 キリスト受難の彫像、山車などをゆっくり見ることができる。 もう一つの大きな祭は6月29日のサン・ペドロの日。 名物のにんにくと陶器の祭だ。身のしまった粒の大きいにんにくを いくつも束にして編み上げたものが、山と積み上げて売られ、 またスペイン料理によく使われる素朴な素焼きの壷や深皿も にぎやかに並べられる。初夏の青空の下で漂うにんにくの匂いに胃袋を くすぐられて、足は自然と市役所横を通るエロレス通りに向かうことになる。 ゆるやかな坂道になっているこの道は、 小粒なバルがひしめく TAPEO 専用の小路だ。 普通タパスを出すバルはそれ専用のおとなしい店構えのはずなのだが、 地方都市にありがちのようにパブも兼用しているところが多い。 暖炉でおっさんがもくもくとチョリソを焼く典型的な“おやじバル” でユ−ロビ−トが流れ、高校生がビ−ル片手に騒いでる、 またロックの流れるパブでおじちゃんたちがワインを飲んでるなんて 光景はミスマッチで地元っぽい雰囲気が楽しめる。 さてサモ−ラで何を食べて何を飲むか。まずはワインとチ−ズである。 “ワインはリオハ、チ−ズはマンチェゴ”という先入観はもう捨てて、 例えばワインだったらこのドゥエロ川地域が名産地として 日本でも一般化してもいい頃だ。特にサモ−ラ近郊の町、 トロはワインの町だ。数々の酒蔵がひしめき、 良質のワインは蔵ごと買い占められていたりする。 夏には Fuente de vino という闘牛を放った広場の中央に 巨大なワイン樽を置き、それによじ登って中のワインを 飲み上げるというとんでもない祭もあるのだ。 トロのワインはその色と味の強さで知られていたが近年はもっと飲みやすく、 飲み心地のいいものを出している。手に入りやすいものでは 「コレヒア−タ」がお薦め。さっぱりしているが軽すぎず、 癖になる味だ。もう一つ癖になるのはチ−ズ。 歯触りは固いが深みのある味は、 甘い発酵臭とブレンドして独自の味がある。 マンチェゴの名に押されて地味な存在だが、 スペインの良質チ−ズとして、農業省からもお墨付なのだ。 チョリソ、ハム、肉類のおいしさは言うまでもない。 それらをごった煮にしたような Arroz a la zamorana という伝統料理もある。ちょっと意外なのは鱈とタコが よく料理に使われること。海はないものの、ポルトガルと通じていること、 セマナ・サンタの肉食を禁じる時節にその代わりとして 食されたことで広まったらしい。そして最後にマス。 たっぷりと肉のついた新鮮なものが安価で手にはいる。 フェルナンド2世の頃には、この魚の買い付け争いが 貴族と民衆の間での紛争の原因となったほどだ。 この揉めごとで放火された教会が Santa Maria La Nueva といってセマナ・サンタ博物館の正面に立っている。 そうやって見てみると静穏なる古都といったこの街もぐっと近くなってくる。 この旅行をどこで終わらせるのがいいのだろう。 サモ−ラから国道630を少し下って右に入った所にある El Perdig溶 という村に向かおう。 ここには500年程もたった地下にある酒蔵を 改造して作ったレストランが 4〜5 件ある。 外からはぽっかりと開いた穴にしかみえない入り口を 急な階段を降りていくとほとんどインディ−ジョ−ンズの世界だ。 洞窟の様な穴蔵で焼肉をほおばり、 ワインで流し込んでいくうちに、今日訪れた遺跡のような街を思い出す。 この大地で働いていた人達はどんな気持ちであの街を見ていたんだろう。 「サモ−ラ?なんにもないとこだよ、なあんにも。」 −地元ッ子はそういいながらもセマナ・サンタのすばらしさや ワインのことを熱っぽく語り出す。過去の遺物をもてあましながらも、 その静かな誇りがあの街を優しく守っているのかもしれない。 インフォメ−ション: Patronato Provincial de Turismo (980) 534047 Oficina de informacion y Turismo (980) 531845 Parador (980) 514497 Estacion de autobuses (980) 521281 Renfe (980) 521956 |
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T OP 10 A LA ESPANOLA DISCOS MAS VENDIDOS EN ESPANOL EN SEPTIEMBRE 1. Rosana, Lunas Rotas 2. Laura Pausini, Las Cosas Que Vives 3. Mike Oldfield, Voyayer 4. Alanis Morissette, Jagged Little Pill 5. Ella Baila Sola, Ella Baila Sola 6. Eros Ramazotti, Donde Hay Musica 7. R.E.M., New Aventures In Hi-fi 8. Joaquin Sabina, Yo, Me, Mi, Contigo 9. Rebeca, Rebeca 10. Boney M, Best In Spain 注目エントリ−は文句なく9ポイント上昇の Boney M と、5ポイントアップのEros Ramazotti。 そして Maria Botia と Marilia Casares のデュオグル−プ Ella Baila Sola は 急上昇でトップテン入りを果たした。 一方、ランクダウンしたのは R.E.M. と Rebeca、 圏外ダウンしたのはLuis Miguel の Nada es Igual 相変わらず不動の位置を守っているのが、Rosana, Rebeca, Laura Pausini, Mike Oldfield だ。 目立つ最近の傾向の1つとして、 新しく出てきた poesia urbana とでもいうべき傾向の歌の人気がある。 単純なラブソングではなく、普通の人の生活を描き、 また人種差別など厳しい問題なども取り上げた現実派の歌詞が、 人工的なビ−トだけの音楽に飽きた大衆に受け入れられたのだ。 Ella Baila Sola や Rosanna Arbelo の人気は、 この数ヵ月スペインで起こっているこの現象の明らかな例だろう。 アメリカでもすでに数年前から同じ現象が起こっている。 1996 年グラミ−賞を獲得した Morissete などが良い例だろう。 毎週のヒットチャ−ト全体の変化を見ても“内容のある歌詞” の歌に人気が集まっていることがわかる。 これが今年の新しい傾向といっても間違いないだろう。 Ketama の De Aki a Ketama は 発売以来すでにかなり経っているにもかかわらず、 今だにトップテン内でも高い位置を保っている。 フラメンコ音楽のチャ−ト内での動きが他とは違い、 一度人気が出ると、かなり粘り強くチャ−トに残ることを示している。 この作品はクラシックなフラメンコをブル−ス、 ボサノバ、ロックなどとミックスした、 オリジナリティ溢れるナンバ−のコンサ−ト録音。 ディスクの完成度は高く、 カルモナ兄弟の根強い人気はまだまだ続きそうだ。 |