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ルゴット  第二回 −名前の秘密

 夏の美容特集号の女性雑誌に「Las tres caras de Lorenzo」と題して 日焼け対策の記事が出ていました。 誰だロレンソって?と一瞬悩みますが、 Lorenzo というのは男性の名前であるとともに、 一般に“太陽”の意味で使われることもあるのです。 もともとスペイン語の名前というのも簡単なようで難しい。 まずやたらホセだのマリアだの同名が多すぎて、 親族の集まりなどで“ホセ”と一人にむかって呼んだにもかかわらず、 子供から上はよろよろのおじいちゃんまで4,5人は振り返ったりする。 またあだなはともかくも、長い洗礼名を短くして呼ぶことが多く、 Chuchi, Chema, Chechu などになるとはっきりしてくれとも言いたくなります。 そんな名前に関した Argot も思いのほかあるのです。

 Rickey Martin の歌のヒットのおかげで、 ただでさえ Maria の多い町中にやたらこれを連呼する歌が どこへいってもかかっていて、ちょっとうんざりしたスペインの夏でしたが、 これが辞書の説明によると Maria の愛称、Maruja になると “オバタリアン”の意味になります。 おせっかいで詮索好き、ス−パ−での列への割り込みを日常とするセニョ−ラ、 もしくはその類の女性をQue maruja!と呼ぶのに愛称の意味合いはありません。 そういえば Bruja (魔女)とかけた感じもあるようで。 また、おんな三人寄ると姦しいというのはどこも同じらしく Las tres Marias などともいいます。 ただしこの後に la caca, la mierda, la porqueria などと続けると ひっぱたかれるので注意。他にマリファナをこの名前で呼ぶ事があります。

 Maruja の強いイメ−ジとは反対に、マスオさん的お父さん像を表現するのに Rodriguez があります。妻や子供をバケ−ションに送り出して 自分はもくもくと働くお父さんをこう呼ぶ−と言ってしまいたいところですが、 中には Estoy de Rodriguez! といってはこっそり楽しむ隅におけない方もいるようで。
 子供のほうはどんな gamberro であろうが、親にとってはかわいいもの、 しかし Angel, angelito などといってかわいがられる時期を過ぎると、 Ten cuidado con el, tiene cara de angerito, pero... などと後ろ指を指されることになります。  スペイン人の名前はほとんどが洗礼名、聖人の名前をとったものですが、 そのイメ−ジが消えて、日常語に組み込まれているのは その例のない日本語と比べて見てもおもしろいものです。

 "Como Pedro por su casa−我が物顔で en un Jesus− あっという間にsin decir Jesus−だしぬけに"などはともかく、 Jesuita−イエズス会が策略家、 偽善者を指す形容詞として使われていたりするのは、 歴史に根付いた宗教観を感じさせます。 先に上げた愛称も argot に使われることがあります。 Rita は Margarita の愛称ですが、 Que lo haga Rita! というと「誰がそんなことするってんだ!」 という意味になり、Francisco の愛称 Pancho は "quedarse tan Pancho" で「顔色一つ変えない」という状態を表わします。

 ジ−ンズのブランドにもなっている Jose の愛称 Pepe ですが、 "ponerse como Pepe" で「腹一杯食べて満足する」、 "ver menos que Pepe leche" でひどいド近眼の状態を指します。 そしてご存じの通りスペインは性に関する隠語が多い国、cono を指す言葉だけでも31はありますが、Pepe, Concha も類にもれず、 お××こ指す意味で使われることもあります。





 
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るば図書館   Los rostros de la huida Charo Ruano

 処女作“Hicimos de la noche un largo poema”発表以来、 詩の世界に不動の位置を占めるサラマンカ出身の作家 Charo Ruano の新刊。 93 年に出版された児童向けの作品以来久々の新作だが、 Nunca acaba esta noche... で始まる作品らははッきりいって暗い。 重い孤独と悲しみの暗闇を切り刻んだ中から 鈍く光る美を探し求める作者の姿は痛々しい。 ナルシスティックな孤独に浸りたい秋の夜におすすめ。 AMARU Ediciones

◆Las aguas esmaltadas  Manuel Diaz Luis
カスティ−リヤの荒涼とした平原に点在する村々、 そこに農牧業を糧として生きる人々を描写するこの作者のタッチは、 単なる田園生活賛歌に留まらない。迷信や不思議な信仰、習慣を造り出す。 それがあるときは痛烈な皮肉を込めた描写で、 またいくつかの牧歌的な詩で描き出している。 表現豊かな文体にたっぷり含まれた、 カスティ−リヤ地方の農村ならではの方言や言い回しは興味深い。 SEIX BARRAL

◆ La mujer habitada  Gioconda Belli
 88年の出版以来すでに8カ国語に翻訳され、 ヒットを続けるニカラグアの作家Gioconda Belli の代表作。 作者は 70 年より母国でサンディニスタ民族解放戦線のメンバ−として活動、 79年の新政権発足時数々の職務を果たした。 紛争下、戦いによって結ばれた男女の欲望とためらい、 そしてひとりの女性としてより自由に生き、 愛されることへの強い憧れと情熱を描いた作者初めての小説作品。 TXAPARTA Editorial

◆ La morena de la copla  Andres Sopena Monsalve
現在語られるところの“スペイン女性”のイメ−ジは、 コプラ(主に 8 小節 4 行からなる民俗歌謡)によって歌われる、 象徴化されたキャラクタ−のイメ−ジが強いと言えよう。 情が厚くて気が強く、扇子で言い寄る男達をあしらいながら、 長いスカ−トの裾を蹴りたてて歩く−そんなイメ−ジが長い間、 人々の意識下にあったことは、女性ら自ら認めるところである。 それを 30 年代後半から現代までの様々な広告、ポスタ−、挿絵、 そしてコプラの歌詞も豊富に盛り込んで、 作者は皮肉とユ−モアたっぷりに批評、分析している。 テ−マがテ−マだけに、フェミニストが読んだら 頭から湯気を出して怒りそうな部分もあるものの、 ユ−モアのセンス、観察眼は共に鋭く、笑い、 また考えさせられるお薦めの作品である。 CRITICA





 
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ネマスコープ   ブニュエルのシュールレアリズム

 「El perro andaruz (1929)」「Ese oscuro objeto del deseo (1977)」… この2作品中に流れる架空の歪んだ時間の中には、人間の意識の地図が広がる。 地下室へ、底知れぬ深淵へ、そして迷宮へと我々を誘い込む。 それは、驚愕と謎解きに満ち溢れている。

 ルイス・ブニュエル−“アンダルシアの犬”と共に故郷アラゴンのカランダを ひとり飛び出した彼は、重厚なる規律に守られた良き社会、 と言う虚構の上を高く飛ぶ、力強い翼を持っていた。 目指すところは、その下深く、地下室に閉じ込められた自由と言う名の怪物を 呼び覚まし、天空を覆い被す偏見、薄黒い野心といった存在を暴き出す事であった。

 彼の呼んだところの人類の黄金期 (la edad de oro) −我々の現代までにも続く− というのは人類栄華の頂点であったのか、それともその堕落の始点であったのか。 作品「La edad de oro (1930)」での彼の洞察には、 ブルジョア精神というものに注ぐ鋭い視点があった。 偽装と精神的貧困からなる、すべての反抗精神に背を向けた偽りの安定と満足。 故意に用意された不完全なるもので溢れるシ−ンの連続は、 このうわべ重視、事なかれ主義のブルジョア精神へのもっともたる警告であろう。 彼のそのすべての芸術活動の根底にあった、 ブルジョアジ−との孤独な戦いの中でも、時代を先駆けたこの作品は、 その独特のメタファ−が光る作品である。
 
 「Tierras sin pan (1932)」では人間の自由への切望を唱える シュ−ルレアリズムが、農村の遅れと貧困を認めぬ共和国政府を震え上がらせ、 前例のないスキャンダラスな作品となった。  そして市民戦争となり、国外追放。国境での生活は彼にとって決して 生き残りを意味するものではなかった。

 メキシコは彼の反抗精神の表現を実現させた土地であった。 「Los olvidados (1950)」「El(1952)」 「La vida criminal de Archivaldo de la Cruz (1955)」 「El angel exterminador (1962)」「Simon del desierto (1965)」 などの輝かしい作品群が生まれた時期であった。

 その後内省の時期を迎えた彼は、フランスとスペインとにまたがった撮影活動を始める。 その押さえられた感情がやがて挫折へとみち導く、信仰深く、 慎み深い女性の物語「Viridiana (1961)」、「La via lactea (1968)」、 混乱の土地を描くシュ−ルレアリスティックなソナタ 「Tristana (1969)」、「El discreto encanto de la burguesia (1970)」 「El fantasma de la libertad (1972)」など、やや輝きに欠けるものの、 完成度の高い作品が多い。そして「El oscuro objeto del deseo (1977)」 を最後に、ルイス・ブニュエルは人生の夕暮れを迎える事となる。

 1983年7月29日、ブニュエルは人生最後の日を迎えた。 はかなく死を迎える望みが果たされたことが何よりの慰めである。 末期の床で最後の懺悔と聖体拝領の儀式を勧める司祭、 それに驚いて目を見張る友人達−こんな最後のシュ−ルリアスティックな シ−ンをブニュエルはきっとその目で“撮った”に違いない。 彼は生涯、“神のみかげにより”無信仰であることを言い続けていたのである。





 
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ルチェおばちゃんの台所   第二回 初秋のおいしい田舎の食卓

創刊号のデビュ−をすっかり喜んでくれたメルチェおばちゃん、 今回はご自分の別荘に招待してくれました。 お家は青々と繁るりんごや桜の木に囲まれ、その奥にプ−ル、 そして見晴らしのいい草原の手前に手作りの家庭菜園が広がっています。 前回おばちゃんがご自慢していたとおり、 トマト、いんげん、ピ−マンなどなど 今年の夏の成果があふれんばかりになっています。 すべて自家製の堆肥で作ったものばかり、 かわいがって育てたから味が違うんだよ、 と言いながら差し出してくれたいちじくはもいだばかり、 パンパンに太った身は噛ると果汁がはじけるほどの生きの良さです。 ふと横を見ると何かシャワシャワと動く袋が‥ 「あ、それざりがに。(cangrejo de rio) 今朝川で獲ってきたの。 いっくらでもとれるんだから。」どうやらこれが今日のお昼になるらしい。 そろそろお腹を空かせた子供から大人まで親戚中ぞろぞろやって来る頃、 おばちゃんはゆっくりと台所に歩いていきました。

 今日のメニュ−はまずもぎたてのトマトで作った冷たいサラダ、 さっきのざりがにをお米といっしょに炊いたパエ−リャ風、 鶏肉の煮込みとデザ−トにこれもとりたてのナシや梅といったぐあいです。 大きなテ−ブルが用意され、 お父さんが自分で作ったというワインを抜きます。 とにかくなんと賑やかな食卓!子供は子供で、 大人達もそれぞれワイワイしゃべることといったら! それに空いたお皿にはもっと食べろとどんどんつがれ、 ほとんどわんこそば状態です。 さっきのざりがには殻をむしって中の肉を吸うと、 おいしいス−プが出てくるくせになる味。 鶏肉もふっくらと煮込んであり、ソ−スも味のきいたしっかりしたものです。「凝ったことはしないの。新鮮な材料を丁寧に料理してけばおいしいもんができるのよ。」う−ん、さすが主婦道を究めたおばちゃんの名言。 くっきりとした夕日が窓から見える地平線に沈み始める頃、もらったトマトやナシがぎっしりつまった袋を両手にお家を後にしました。自分で食べるものを自分で作る楽しみ−それを満喫している人達の食卓はシンプルながらもとても豊かなものなのでした。





 
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集記

 スペインではフェリアの季節も過ぎ、 移動遊園地が片付けられている最中の広場の上には、 秋らしい青空が広がっています。 バケ−ションの時期も終わり、 街にもようやくもとの賑やかさが戻ってきました。 新しい季節が始まる時の、陽気な雰囲気がどこにも溢れています。

 本誌Albaもその雰囲気の中で 2 号目を発刊することになりました。 お陰様で創刊号は各方面で話題になり、応援の声をたくさんいただきました。 2号目は編集方法をまったく新しくし、写真も豊富に取り入れ、 記事、紙面ともにボリュ−ムアップし、より読みやすく、 分かりやすい雑誌になるよう心掛けたつもりです。

 スペイン留学中の方、またはこれからされようとしている方にとって、 そのわくわくした好奇心をバックアップする存在となればと思っています。  新しいことを始めるには少しの勇気に加え、 たくさんの好奇心が大きなエネルギ−となるはずです。 幸い文化と歴史の宝庫であるスペインは、 そんな好奇心をたっぷり満足させてくれる、貴重ながらもおおらかな国です。 その懐に飛び込んで思う存分吸収してやろう! とちょっと大げさなぐらいがんばってみませんか? この季節は正にそんな気持ちにぴったりの時期です。

Alba 編集長 後藤 美智子